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宝塚古墳

たからづかこふん

たからづかこふん

   【境川町小黒坂小字宝塚】
妙見堂が建てられたその場所は、ただの高台ではありませんでした。そこは、古くから「宝塚」と呼ばれてきた場所。古墳時代のものと伝えられる古墳の上に、妙見堂は建っています。

この地は、鎌倉時代に 日蓮聖人が甲斐の国を巡り、布教の途中で立ち寄った場所とも語り継がれています。

宝塚には、今もなお不思議な言い伝えが残されています。

古墳の中には、刀剣、甲冑、そして勾玉が埋まっている――。
けれど、それを掘り起こそうとすると疫病が流行る。
そんな恐ろしい話が、古くから伝えられてきました。

人々は、その塚の下に眠るものをただの財宝とは考えなかったのかもしれません。
そこには、むやみに触れてはならない何かがある。
そう感じていたのでしょう。

さらに、この古墳の下には抜け穴があったともいわれます。
その穴は、上へ、下へとどこかへつながっていた――。
何のために造られたのか、その理由は今も分かっていません。

ある者は、遠い昔に何か特別な役目を持って掘られたのだと言い、
またある者は、博打打ちが追っ手から逃れるために使ったのだと語ります。
やがて子どもたちがその穴に入り込み、危ないということで、古墳の大きな岩で塞がれたとも伝えられています。

そして、もうひとつ。
この塚には、ひとりの姫が眠っているともいわれます。
家臣との許されない恋に落ち、そしてその身に新しい命を宿した姫。
その恋は時代に許されず、母となるはずだったその人も、まだ生まれぬ子も、この塚の下に静かに眠っている――。
それが真実なのか、伝説なのか、今では誰にも分かりません。
けれど、人は理由もなく長く語り継ぐことはありません。

祈りの場所として妙見堂が建てられたのは、決して偶然ではなかったのかもしれません。
古い時代の記憶を抱きながら、この地は人々の祈りを受け止めてきました。
そして今もなお、宝塚古墳 には、まだ語られていない秘密が静かに眠っているのです。

埋蔵文化財包蔵地一覧
「遺跡名称」 宝塚古墳
「所在地」  境川村小黒坂宝塚
「時代」   古墳
高さ約4、5尺、地盤は60坪、形は正方形で東南の隅の一部には幅8尺、厚さ2尺の大磐石が覆っている。
石垣が残っているが、周囲に壕などの形跡はない。

大磐石の下には甲冑、刀剣および珠玉などが埋まっているとの口伝があり、明治初頭に村民がこれを掘鑿した際に、幾多の遺物を発見した。時たまたま悪疫の流行があり、発掘の祟と恐れ、再びその場所に埋蔵したという話が残っている。

『東八代郡誌』『境川村誌』より