北辰妙見大菩薩
ほくしんみょうけんだいぼさつ
ほくしんみょうけんだいぼさつ
天明年間(1781~1789)に、日本諸国の社寺などを遍歴する僧が当地(小黒坂)を訪れ、角田家に滞在した。
そこでの厚遇に対して感謝の言葉を述べ、長い間逗留させていただいたお礼として、持っていた厨子の中から仏像を取り出した。
「これは能勢妙見の分身で妙見大菩薩です。どうかご当家で大切にお祀りください。」といって立ち去っていった。
しばらくの間は、角田家で大切に安置しお給仕していたが、より多くの人にお参りしていただきたいと思い、協力者を得た結果、間口2間・奥行3間の「妙見堂」を建立し、地域の皆さんがお参りできる星祭り祭典の基盤を固めるに至った。
また、妙見堂が建てられたこの地は「日蓮聖人の甲斐巡教の杖錫の地」とされる。(『日蓮宗寺院大鑑』)
昭和26年頃に老朽化した妙見堂は、ブリキ屋根・モルタル壁のものへと改築された。
平成15年の本堂改修に伴って、妙見堂も再改修された。
現在、妙見堂の厨子に安置されている「北辰妙見大菩薩」は、文久2年(1861年)仏師 木村重信によって彫られたものであり、この像の胎内に真の妙見大菩薩像が入っているため「胎内仏」と呼称される。
現在、地域の皆さんから「お妙見さん」と親しまれている。