妙見山晴雲寺の最大行事は、毎年冬至に開催される”星祭り”です
妙見山の”妙見”とは、妙見菩薩を守護神として祀る山であることから名づけられたほど
お寺の歴史と密接に結びついております
妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化したものなので、”星の王様”とされます
冬至は1年の中で、昼の時間が最も短く、夜の時間が最も長い日であることから
妙見菩薩のお力が最も強くなるときこそ、冬至となるのです
『東八代郡誌』
年中行事は各町村により、まま特殊のものなきにあらねども、その町村の特殊なるものと認めたるものは、その條下に之を附記せり。
12月冬至
黒坂(境川村)の妙見会式あり。五里十里の遠方より参詣するもの多く、酒赤飯の接待ありて頗る賑わう。
『古文書』
明治17年12月冬至、午前零時を期し祭典の行事を行う。
各自の分担
角田三郎…赤飯、角田代十郎…清酒、宇佐美源兵衛…花菓子(青い割竹の先を5つ割り、餅と菓子を交互に挿す)、角田捨吉…御供(鏡餅三重)、檀家…自家生産の野菜類、薪は全員で山に入り枯れ木を採る。
以上、無償寄付。参詣者に清酒、赤飯、野菜の煮たものを振る舞う。
年々参詣者が増加、その数数千名の多きに達したる故に、やがて清酒、赤飯、鏡餅、花菓子等は執行部にて購入。
村内各戸より集めた白米は餅に搗き、お供物として御札を添えたり。
清酒は厳選最上の品、一斗樽30数樽、糯米小豆約5俵、檀家各戸より持ち寄りたる野菜類の量もまた莫大なり。
以上の如くならば、酒好きの信者は御酒の量もすぎることしばしばあり、遠く圭林、藤垈、又は米倉方面迄、泥酔の末、厳寒、風雨、雪も知らぬげに道端に寝入り幸いの夢などを見しものと思う。
又、境内は勿論、門前往還には露天商50を越し、夜中より日没まで盛況を呈したり。斯くの如き祭典は、日本国広しといえども我が妙見山晴雲寺のほかこれなし。
