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大袈裟(おおげさ)

「いや、それは大袈裟やろ」

【実際よりさも大変なことのように見せかけること】

お坊さんの服装といえば「袈裟」というのが、世間一般のイメージではないでしょうか。しかし、インドなどの東南アジアのお坊さんの着ている袈裟と日本のお坊さんが着ている袈裟では見た目からしてまるで違うものに見えます。しかし、そのルーツをたどれば、当然ながらお釈迦様から始まります。

そもそも「袈裟」とは、仏弟子が身にまとう衣服すべてを指して「カシャーヤ」からきています。カシャーヤという言葉を音で漢字に当てはめたものです。意味は「濁った色」です。

お釈迦様が袈裟を作るにあたって、3つのルールを定めました。共通して言えることは、修行者は絢爛豪華な服ではなく、質素で慎ましい服を着ることを推奨したことです。

1つは「色」について、土のような色や樹木の皮のような色などに染めることを定められています。

2つ目は「布」について、価値のない捨てられるような布をあえて使うように定めています。糞掃衣。

3つ目に「形」について、今からお話ししたいと思います。

ある日、お釈迦様はお弟子さんと一緒にお城から周りの村々を訪れました。少し小高い丘に差し掛かったところで、一休みしながら田んぼで働く人々を眺めています。

突然、お釈迦様はお弟子さんに質問します。「あなたには田んぼが見えますか?」

お弟子さんは困惑します。なぜならどう考えても、目の前には一面田んぼが広がっていて、言うまでもなく田んぼは見えているのです。少し悩んだあと、「私の中に見えます」と答えました。

この答えを聞いたお釈迦様は、にっこりと微笑み、袈裟の形についてルールを定めたそうです。皆さんは意味が分かりますか?この禅問答のようなエピソードを聞いて私は最初さっぱり分かりませんでした。しかし、ふと思ったことがあります。こんな別のエピソードがあります。

ある日、お釈迦様はいつものようにお弟子さんを連れて町に托鉢に出かけました。途中、田んぼのあぜを歩いていると、田植えをしていた農夫が、作業の手を休め額の汗を拭いながら、声をかけました。「お釈迦さん、あんたたちはいいね。なにも作らないで生活ができて。わしらはこうして田を耕し、苗を植え、毎日手入れをして大事に育て、秋になってやっと実りを得ることができるのになぁ」

それに対してお釈迦様は答えます。「お百姓さん、私たちのやっていることは、あなたがたのやっていることと同じですよ。私たちも、耕し、植え、育てて、実りを得るのです。ただし、私たちが相手にするのは田んぼではありません。人の心です。私たちは人々の心を耕します。ある人の心は、何十日も雨の降っていない地面のようにかちかちに固まっています。また、ある人の心はごつごつとした石ころだらけです。ですから私たちは、ある時には鉄の鍬のように強い言葉を使って頑固な心を耕し、ある時には優しい言葉を用いて石ころを拾うように誤った考えを一つずつ正していきます。心がよく耕された土のようにふかふかと柔らかくなったら、今度はその人が本来持っている悟りに至る種を植え、大事に育てます。害虫を払い雑草を抜くように、心に生じる迷いや欲望を払い、嫉妬や慢心を抜いて、まっすぐに苗が育つように助けます。そして、最後には一人一人が悟りという豊かな実りを得ることができるのです。私たちもあなた方と同じことをしているのですよ。」

袈裟は一枚の普通の服のように一枚布では作りません。あえて、一度切ってから縫い合わせ、まるで田んぼのような姿にします。その姿から「福田衣」ともいいます。お釈迦様の教えが形として表現されています。これが袈裟の3つ目のルールであると同時に、これを着用する僧侶が忘れてはいけない教えが込められています。

虎の威を借りる狐じゃないけど

袈裟の豪華さで誇るのではなく、中身で勝負したいよね

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